サイクル
また、新しい奴が降ってきた。
端の見えない光の彼方とでも言えそうな、狭く高い空からそいつは降ってくる。
かつてのおれたちと同じように。
やたらもろいラジコンのような機械を、高いところから落としたような無機質な音を立てて、おれと仲間たちが”積まれている”山に落下する。その衝撃は、不安定ながら均衡を保っていた山に僅かながら影響を与えてる。ずるずると崩れる山のあちこちで、上に顔を出していた奴が他の奴に埋もれて、沈んでいた奴らは外に出てその姿が露わになる。一つの小さな落下が、大きな波紋を呼ぶわけだ。
おれたちは落下に気づいてから、ある程度ほとぼりが冷めるまで、”偶然にも”山の表面に顔を出しているという状態を保って、じっと待つことにしている。それは、おれたちの山が衝撃で崩されている間は、下手に動くと足を取られ底に沈んでしまいかねないから、という訳もあるのだけれど、何より怖い怖い『きまぐれな手』に目を付けられないようにするためだ。
きまぐれな手は、文字通り手なのだが、その尋常ではない大きさと鋭くとがった四本指を持つ。おれたちを捕まえに来ては、必ず一つ捕まえて帰っていく。その目的は、不明だ。
金属と金属がこすれ合う最後の音が聞こえてから、十秒数える。十秒たったら、きまぐれな手が近づいてこないのを、木製滑車が鳴らすような音がこちらに迫ってこないことで確かめて、ようやく動き出す。
おれと同じ姿をした奴らの山の上で、おれはそっと立ち上がる。とりあえず探すのは、今しがた落下してきた奴と、おれと同じ”動ける奴”だ。
同じ顔と体が一面に広がる、でこぼこ不安定な足場を歩く。自分と同じ顔を踏みつけること自体は何も感じないし、その光無き瞳を気味が悪いとも感じない。おそらくおれたちは……少なくともおれは……一種の感情と呼べるものは基本的に初めから持ち合わせてないのだろう。
山のてっぺんの陰から、これまた同じ顔が現れた。しかし、おれの足場となってしまっている他の奴らとは違って、そいつはおれと同じ動ける奴だった。
「一番目か?」
「そうだよ。君は五番目かな?」
「あぁ」
別に出会った相手が誰でも(動ける奴なら)よいのだけれど、おれたちの間では、動けるようになった順番で相手を識別するのがいつの間にか習慣となっていた。
「同じ顔だと、区別するのもままならなくて不便だね」
まったくその通りだとおれは思った。何も全てを鈍い銀色で染めなくても。色分けぐらいしてくれりゃあ良いのに、とおれはいつも思う。
グチ垂れていても何か始まるわけでもないので、とりあえず落下してきた奴の元に向かうことにする。
おれが動けるようになった時にはすでに目の前は、丸くくり抜かれた狭い空と同じ顔で埋まっていた。
記憶はない。生まれたての赤子のように、記憶はその瞬間から始まっていた。
突然にこの世界に意識を放り出されたおれの中で、様々な疑問がめぐった。
ここがどこなのか。……大きな缶をくり抜いた、筒状の空洞、その内部ということは目で見て分かっている。
足元に転がっているこいつらは何なのか。……おれと違って全く動く気配を見せない。
おれは何者なのか。……自分で自分の顔を見るわけにはいかないから確認できてはいないが、自分の体を比べてみる限り足元のこいつらと同じ姿をしているのだろう。
しかしおれは直ぐに考えるのをやめてしまった。考えたところでこの狭い世界、何か変わるとは到底思えなかったからだ。無駄を省く……そのことは、動けるようになる前から知っていたような気がする。
まぁ、それでも、せっかく他の奴らとは違って動けるのだから(その事についても考えたが今現在も何故おれたちだけ動けるようになったのか謎だ)、少しうろうろしてみることにした。
そんな時、一番目に出会った。
そいつは見晴らしのよいこの場所で、突然、当然のようにこちらへ向かって歩いてきた。その時のおれの感情は、こうだ。わぁ。驚き。……一番目にあとから教えてもらった。
一番目はおれなんかよりも遙かに昔から動けるようになっていたらしく、”はくしき”だ。当初から何故自分は動けるようになったのか疑問に持ち続け、自分と同じ動ける奴を捜しては、何か疑問を解く手がかりはないかと一緒に知恵を出し合ったらしい。
知恵を出し合ったとは言っても、おれの前には一番目の他には二番目、三番目と四番目しか動ける奴が現れてこなかったようで、考え無しな二番目と臆病(一番目曰く、きまぐれな手を怖れるあまり自ら山に埋もれちゃう感情らしい。大変だな)な三番目からはろくに知恵は出なかったらしい。四番目にいたっては、せっかく動けるのに、面倒くさいの一言だけ残して、今はだいたい山の中層辺りに埋もれてしまっているらしい。
だからって、おれに頼りを請わなくても。一番目。
一番目の抱く疑問自体に興味は無かった。だが、動くことは好きだったので(動けるのにじっとしているのはなんだか損な気分だ)落下してくる奴が出るたびに、そいつの元へ一番目と一緒に行っていたら、いつの間にかおれが一番目に相方認定されていたのだ。
そうして今も、山積みの同じ顔の中から動ける奴と、おれたちが何故動けるようになったのかその手がかりを求めて一番目につきあっているのだった。
新しく降ってきた奴は、落下時のその勢いで三合目と言える辺りまで転がり落ちていた。
「もしもし。動けますか?」
一番目が新しく降ってきた奴に声を掛ける。
だが、一番目が何度声を掛けても動く気配を見せなかった。
「もしもし〜」
無反応。
「一番目。どいてくれ」
おれはそう言って降ってきた奴に近づくと、体を掴み上げて強く揺さぶる。前後に、左右に。大きく、小刻みに。それでも動かないものだから、顔を右の手で何度もはたいてみた。ほれ、ほれ。
「君は相変わらず乱暴だねぇ」
「だってこの方が確かめるには早いだろ」
ごもっとも、といったように一番目は頷いてみせる。
「だが、少しばかりかわいそうだよ」
「かわいそう?」
おれは、一番目の言った、感情”かわいそう”について考えてみる。この状況、この瞬間に感じる感情。前にも感じたことはあるのか。似たシチュエーションはあったのか。しかし。
「分からないな」
掴み上げていた奴が動かないことを確認すると、おれは用済みになったそいつを放り捨てた。
「おれには”かわいそう”という感情は備わっていないみたいだ」
「えぇ。どうやらそのようですね」
そう言うと一番目は、おれが放った奴の元に行き、手足や頭の向きがちぐはぐ、へんちくりんな格好で倒れているそいつを、正しい格好に戻してあげた。
山のてっぺんの方から、また一人動ける奴が歩いてくる。
金属製の体の質感を目で感じられる距離まで近づいてようやく、一番目がそいつを二番目だと確認できた。
二番目がくぃ、と口を開く。
「何も無かった?」
第一声目からそれだった。語尾が上がらない不完全な疑問系をおれたちに投げかける。
彼はおれよりも端的で、考えも短絡的で、おれよりもめんどくさがりだ。こうやってたまに、探し物をしているおれたちの活動の途中経過を聞きに来ては、結論だけを勝手に持っていって、どこかに消えてしまう。おいしいとこ取り。
普段はどこで何をしているのだろうか。比較的見晴らしのよいこの空間で、二番目の動く姿があまり見られないことを考えると、面倒くさがりの四番目と同じように山の一部となっているのだろうか。
「今のところ動ける仲間は見つかってないですね。分かったことと言えば、動ける仲間が現れるのに周期も法則性もないことぐらいですかね」
「わかった」
それは、必要最低限の返事だった。そして二番目はこれ以上何も得られないと判断すると、これまた無駄のない固い動きで振り返って戻ろうとする。
その時おれが二番目に抱いていた感情は、何だったのか。動けるようになって、まだ日が浅いおれには、こんな複雑な感情は到底理解できない。
その時おれは、一番目が小さく呟いたのを聞いた。
「なんだか理不尽ですよねぇ」
理不尽。
あぁ、そうなのか。
なんだかよく分からないけど、言葉の響きといい、しっくり来る。
いい機会だから、早速使わせてもらおうか。
「おい、二番目!」
おれは一番目より二歩前に踏み出して、どこかへ去ろうという二番目に大きく呼びかけた。
「あんたは、理不尽だ! たまには自分で動いてみろ!」
使い方はおそらくこれで合っているだろう。おれは背中を見せる二番目の反応を待った。
立ち止まって、振り返って、こう一言。
「考えがある」
おれが言葉の真意を飲み込む前に、二番目は去ってしまった。
……。
「何だぁ」
「彼には彼なりの考えがあるんですね」
考えている間に、一番目がうまいこと綺麗にまとめてしまった。
そう言った矢先だった。
きまぐれな手が現れたのだ。
おれと一番目は木製滑車の音が聞こえた瞬間、きまぐれな手の姿が見える少し前に動かぬ奴になり、山の一部と化してあいつをやり過ごそうとする。
あいつについて、おれが知っていることは少ない。とりあえず最低限の知識として一番目に教え込まれたのは、あいつは無作為におれらの中から数体選びかっさらっていくこと、動いている奴を見つけたら、優先してそいつをさらっていくこと。あとひとつ、一度さらわれたらここにはもう戻って来られないということだ。
ここには戻ってこられないことが何を意味するのか、詳しく説明をしてもらったが、あいつにどんな意味があるのかおれの頭では理解が追いつかなかった。とりあえず、一番目が念を押して何度も言葉にした「危険で、怖い」ということだけ覚えておくことにした。
あいつは危険で、怖い。
だからこうやって動かぬ奴に混じって横になり、どうか魔の手が伸びぬようにと怖がりながら時を過ごすのだ。
がしゃん、と固めるような音がした。きまぐれな手の鋭い四本指が誰かを捕らえた音だ。
あぁ、怖い。
おれは知っている感情を存分に味わう。
しかし、こうしてまた動かぬ奴がさらわれたわけだ。
一番目に言わせると、明日は我が身だそうだ。運が悪ければ、動けるおれらも明日にはさらわれるかも知れない。だが、動ける奴はそう簡単に捕まることは……。
「あーれぇ〜」
……。
聞こえるはずのない声が聞こえた。
この状況からいって、この声の主は彼しかいない。
「たーすーけーてー」
遠目に姿を捕らえた。きまぐれな手の大きな四本指に捕まって、じたばたしている。
さっき別れたばかりの、二番目だ。
おれと一番目はいつの間にか二人そろって立ちあがり、彼がさらわれていく様を見届けようとしている。
やがて彼は、遙か頭上の大きな横穴に、きまぐれな手に捕らえられたまま消えていった。
「あれが彼の考え?」
「さぁ」
どうやら一番目にも理解不能らしい。
「あ〜あ」
動ける奴が一人、減ってしまった。
「三番目、動けるだろう? 起きてくれ」
おれは動かぬ奴に混じって埋もれている三番目を、無理矢理引きずり出して起こした。
同じ顔の中から三番目を探し出すのは、時間さえ掛ければ簡単なことだ。粗大ゴミのように無造作に放り出された格好で寝ている動かぬ奴の中から、脅えるように身を丸めている、不自然な格好の奴を探し出せばいいだけだ。暗闇をも怖くて嫌う三番目が深い底の方に埋もれていることはまず無いので、それほど苦労せずにに見つかる。
動かぬ奴の振りを続ける三番目に、おれは手加減無しの平手を浴びせる。ほれ、ほれ。
「わかった、起きるから!」
三番目がようやく反応を示した。
「何なんだよもう、僕に何の用だよ」
今にもきまぐれな手がやってこないかと脅えるように三番目は話す。
「あいつに、二番目がさらわれた」
「な、なんだって?」
三番目の顔に浮かぶ恐怖という色が一層濃くなった……気がした。
「そ、それで僕に何か用……」
「知ってるんだろう? あいつのことを、色々と。早く教えろ」
殴る素振りを見せる。こいつを扱うのは極めて簡単だ。
「ひいぃぃ……」
こいつは何故かいつもおれの顔を見ては脅える。同じ顔だぞ、何故脅えるのかが分からない。
「早く」
顔がぶつかり合う距離まで近づいて、おれは言う。
三番目に話を聞いた時以来、おれはずっと山のてっぺん、一番目立つところに座って待ち続けた。
もちろん、きまぐれな手を、だ。
落ちてくる奴らの時とは違って、きまぐれな手が現れるのには周期というものがあるようで、そろそろきまぐれな手が出現する頃だとおれは予測……賢い一番目と違って感覚的にだが……していた。
覚悟はもう、決めていた。
だから一番目が止めに入ってもおれは引き返さない。
「五番目、危険だ。やめないか」
そう決意した矢先に、一番目がおれの元に現れた。いつもと違う、命令口調だ。
「三番目から聞いたんだろう? あいつは危険だ、捕まったら絶対無事にここに戻って来られない」
「聞いたよ」
「だったら分かるだろう。あいつが連れていく先は」
その時、聞こえた。木製滑車の音だ。
きまぐれな手がやってきたのだ。
……ようやく来たか。
一番目は、それはもう反射的にその場に伏せてしまった。おれは突っ立ったままだ。
「二番目が、そして三番目が途中まで連れて行かれた先にある何かも、全部聞いた。でも、こいつの他には方法がない」
「何が?」
「ここから出る方法が」
きまぐれな手が、すぐ真上まで迫っていることに気づいた。
三番目の話を聞いて、今まで気づかなかった事実があった。
こいつは、恐怖をもたらす唯一の存在であると同時に、この箱庭からの唯一の脱出手段だったのだ。
あの、頭上にある横穴。あれがきっと出口なんだ。
絶対的な四本指に、胴体を捕まれる。おれは軽々と持ち上がった。
身動きは、取れなくなった。一番目が、他の動ける奴らが、遠ざかっていく。
その時、おれに一番足りない物に、ようやく気づいた。
「やっぱりおれ、怖いって感情、よくわからないわ」
後先考えることが出来ないおれが一番目に宛てた、最後の言葉だった。
出口の横穴の高さまで連れてこられた。これであとは顔の向きさえ合えば、横穴の向こうの世界が確認できる。
ここまでは三番目の奴も来られたそうだ。自らの意志ではないそうだけれど。
いつも通り、突っ伏せてきまぐれな手をやり過ごそうとした時、ちょうど隣の動けぬ奴が捕まった。その時三番目は動かずに我慢していればいいものを、逃げだそうとして右足を捕まれてしまったらしい。そのまま横穴の高度まで引き上げられた三番目は、横穴の向こうを見てしまった。あまりの怖さに三番目は必死で逃げ出そうと、きまぐれな手の中で暴れた。幸いにも捕まれていたのが右足の先っぽだけだったので、すぐに手中から逃げ出せて、無事戻って来られた。
おれの場合、三番目の時のように都合よくいかないようだ。がっちり体を固められて、体の先から先まで動かせない。見たい方向に首を曲げることさえままならない。
……助かりそうにないな、おれは。
横穴の向こう、きまぐれな手の色違いが、おれと同じ姿をした奴らを解体している様を見て、おれは早々と観念した。
まぁ、でも、祝・箱庭からの脱出だ。
恐怖ももはや、覚えようがない。
その後。
再び体を手に入れたおれは
なめらかに動く大きな奴らの元に届けられ
酷使され捨てられた後
またあの箱庭に戻ることになる
また、新しい奴が降ってきた。
〜Re〜