みずのまちと壊れた世界



 それは、とりあえず八月末のある日の話。



 ふと、よいちは足元のまぶしさに心を囚われ、視線を落とす。
 水面(みなも)に映るきらきらの太陽は、直接的な太陽光よりも心を照らすまばゆさに満ちていた。
 それは、太陽の欠けらが水鏡に散りばめられ、一つ一つが幻想的なきらめきを包含して視覚に訴えてくるからなのだろうか。
 よいちは、水に浸かった両足で水を叩いた。見た目だけでは規則性をつかみ取れない小さな波が、太陽の欠けらをさらに細かく砕いていく。いくつでも増えていくきらきらは、とても綺麗だった。よいちはその様子が気に入って、何回も足をばたばたさせた。
 欠けらを砕く……小さな破壊行為だ、とよいちは思った。でも、その行為の結果として、ほんの少しだけだけど新しい世界が見えたのだ。よいちは、欠けらを砕くことは別に悪くないことだな、と結論づけた。その分だけきらきらが増えるのだから。
 だとすると、何かを壊し、創るための行為はどこまで許されるのだろうか?
 
 空は突き抜けるほどに青い。わずかに残されたちぎれ雲も、灼熱の太陽によって残らず焼き尽くされてしまったようだ。
 明るさと暑さを以て存在感を訴えかけてくるその太陽だけど、周りの青の混じり気の無さに圧されて、虚ろな白い丸程度の存在感しかなかった。

 すなわち、澄み切った青の世界。
 見上げれば空。見下ろせば水。
 見たこともないのに、どこか懐かしい世界。
 これは、誰かが望んでいた世界?
 それとも、誰もが望んでいた世界?

 ……コンクリートジャングルなんかより、今の世界はうんと美しく映ってるよ。
 でも、清澄さの代償として世界は大きく壊れたのだ。
 軽自動車のボンネット上、足を水面に放り出して座っているよいちは、二人を待つ間そんなことを考えていた。



 一時間弱待った頃、ようやく亮太が元商店街の方から、水を両足でじゃぶじゃぶかき分けながら歩いてやってきた。普段は運動勉強何でもござれの亮太が、足を取られあぐんでいる様子は、よいちにとって少しおかしな光景だった。
「やれやれ、歩きづらいったらかなわねぇよ」
 亮太は長ズボンのすそをたくし上げながら言った。濡れるのがわかっているのに長ズボンで来るなんて、とよいちは思う。だが、亮太の頭の中には、半ズボンを履いて出かけるという選択肢はおそらくないのだろう。
「泳いでくればよかったのに」
「こんな浅瀬泳いでいける泳ぎ方あんのかよ」
 確かに亮太の言うとおりだった。コンクリートを覆い尽くす水の量は、歩いて行くには阻害になるが、泳いで行くには浅すぎる。せいぜい十六歳の亮太の股下当たりまでしか水位はなかったのだ。
「遅かったね」
 よいちの座るボンネットによじ登る亮太を横目にとらえながら、よいちは訊ねた。
 亮太は、答えなかった。代わりに、「何言ってんだおまえ」と言いたげな視線をよいちに投げかけていた。
「おまえ、天然か?」
「え?」
 亮太の口からため息が漏れた。ため息の訳をよいちは分かっていなかった。
「ぼ、僕なんか悪いことした?」
「……おまえ、集合場所どこだかわかってるよな?」
「どこって、中池町の町役場……」
 言い終える前に反射的に口を塞ぐ。よいちは気づき、周りを見渡した。
 よいちは真っ先に自分の目を疑った。
 あるはずの町役場はそこにはなかった。
「流されてたんだよ、お前の乗っている車ごと」
 ああ、そうか、とよいちは小さく呟いた。
 よいちがぼーっと二人を待つ間に、意識の奥底で感じていた浮揚感の正体がはっきりした。
 町役場前に止まっている車の上でで二人を待っていたつもりが、いつの間にか満ちてきた水に(この場合満潮、と言えるのだろうか)結構な距離を流されていたのだ。
「ごめん、ぼやっとしてた」
 亮太はそれ以上特に責め立てなかった。よいちが謝ると、亮太は何故か逆に微笑みを返してくれた。
「早いとこ、新しい世界の感覚に慣れろよな」

 ”新しい世界の感覚”。

 亮太の言葉をそのままに、頭の中で反芻させる。
 その言葉の響きには、異常なほどによいちをうきうきさせるパワーがあった。
「おまえ、またぼやっとして」
「ごめん」
「別に責めちゃあいないよ。ぼやっとしているお前も含めてよいちだからな。で、俺の方は良いけど、沙渚の奴はどうすんだよ。今頃、町役場の前で俺らのことずっと待ってるかもよ」
「あぁ、そうだ。……どうしよう」
「わざわざどうするか聞いといて何だが、集合場所に戻るしかないな」
 亮太は車の上から飛んで、水の上に着地した。大きな水しぶきが上がった。きらきらが宙に舞う。
 大きい、小さな破壊行為だ、とよいちは思った。



 見た目よりもいくらか重い水を、一歩一歩持ち上げながら進んでいく。
 歩みが遅くなる分、視界に入る景色もゆっくり流れ行く。それだけで、少し違った道を歩いている気分になれるのだと、よいちは気づいた。

 元商店街を抜けて見えてきたのは、水に浸った無人の町役場と、その前で待つ少女の姿だった。
 一人さびしそうな顔をして二人を待っていた沙渚だったが、よいちと亮太の姿に気づくと、沙渚の表情は一転して外向けの明るいものへ切り替わった。
「あれぇ。亮ちゃん達も今着いたの?」
「もっ、て……おまえも今来たところなのか」
「うんー」
 沙渚はくりん、と斜め後ろを振り返る。そこには、わざわざ自宅から持ってきたのであろう、小さな遊泳用の浮き輪があった。
「これ、膨らましてたら、出かけるのおっそくなっちゃって」
 よいちと亮太は呆気にとられた顔で互いに目を合わせた。
「まぁ、いつものことだな」
「……いつものことだね」
 亮太の口から今日二つ目のため息が漏れた。
 天然娘の名のもとになら、どんな行為や言動も許されると、よいちは思う。
 一応これでも、沙渚は三人の中では一番年上なのだけど。
「何よー、二人ともにやにやしちゃって」
「幸せで悪いか」
「私も幸せだよー、いいでしょ」
「……あぁ。よかったな」
 かみ合わない。
 亮太は会話の成立をあきらめて、話をよいちに持っていく。
「で、今日はどこに向かうよ?」
 民家の外塀に寄りかかりながら、亮太はよいちに提案を促した。
 よいちは曖昧に頷きながら、何とはなしに辺りを見回していた。早朝のニュースで活躍するお天気カメラのようなゆったりした動きだった。

 町役場を背にして左手の方は、二人が今来た小さな商店街だ。普段から閑散とした通りだったけど、町が水浸しになってからは、閉じたシャッターばかりが連なる何とも不気味なロードになってしまっている。
 よいちが車と一緒に流れ着いたあたりは、ちょうど商店街の終わりで、それからまた先に徒歩三分(水没した道を行くのは何分かかるか分からないけど)で、中池町唯一の駅にたどり着く。田舎町にしては立派な外観を持つ、町のシンボルだ。昨日はそこまで行って、誰かがやってくるのを待ち望みながら、水に沈んで役目を失った噴水周りで、水遊びしたり釣りをしたり、ほのぼのとした一日を過ごした。
 右手の方を見る。一軒家や田んぼがぽつぽつと並ぶ道を少しばかり歩くと、三人の母校の小学校がある。小学校へは町が水浸しになってからは行っていない。そこを通り過ぎると、隣町との境目と、この辺りでは一番大きな山がある。熊や天狗やツチノコの出没の噂が絶えない素敵な場所だ。

 よいちは一人確かめるように頷く。こくん。
「小学校の方に行ってみようよ」
 満場一致だった。



 わずかな希望を抱いて小学校までやって来た。しかし、よいちの期待に応える人影はどこにも見当たらなかった。
「分かり切ってたことだけどな」と、亮太はこぼした。
 そういって先を歩き校舎に向かう亮太の背中を、よいちは何も言えずに見つめていた。
 そう、どこを探しても、もうこれ以上人がいないことは予め分かっていたことだった。
 その考えの根拠となるものはない。
 何も残らないこの町で、根拠なんて見つけようがなかったから。
 だからこそ、わずかな希望を抱いたのだ。

 校庭の一角にまとめられた遊具の中でも、頭何個分も高くそびえ立つジャングルジムは、やはり数段目立っていた。よいちはジャングルジムの頂上を目標に、小さな登山を始めた。
 沙渚も後ろから付いてくるだろうとよいちは思っていたが、沙渚は沙渚でマイペースで、校庭で自前の浮き輪に浮かび、足をばたばたさせて水と一緒にたわむれていた。沙渚の行動原理は幼いよいちには全く分からなかった。

 校舎から、散策を終え戻ってくる亮太の影が遠目に見えた。何か、収穫は得られたのだろうか。
「校舎の中、どうだった?」
 ジャングルジムのてっぺんで、亮太の帰りを待っていたよいちが訊ねた。
 亮太は首を横に振った。
「一階の木の床が、浸水の影響で腐ってて、中に入り込めなかったよ。仕方ねぇから一階の散策は外から覗くだけにして、外に付いた非常階段から二階に上がった。二階の全ての教室まわってみたけど、結局だぁれもいなかったぜ」
「やっぱり……」
 よいちは分かり切っていた結果にも、残念そうに肩を落とす。
「やっぱり?」
「……」
 言葉にするのが恐くなる。よいちは口をつぐむ。
 これで水に満ちた町中はあらかた散策したことになる。行くところ行くところで突きつけられてきた事実は、揺るがない結論をよいちに導かせた。
「僕ら、この水の町に取り残されちゃったんだ」

 この世の全ての混沌を、まるごと飲み込んでいってしまった、澄んだ水。
 淀みや憂い……薄汚いものは、多量の水によって全て浄化されていった。
 生き物に限らず、空間や歴史、記憶までもかき消す水。
 やがて、よいち達三人だけを残して、夢の終わりのような世界が創られた。
 それが、大きな破壊行為から生まれたものなのだと仮定する。
 だとすると、新しい世界を生んだ代償はやはり、埋め合わせようがないほどに大きかったのだろうか。

 おーい、とよいちを呼ぶ声がする。
 視線を向けると、校庭の真ん中で沖の鳥島になっている沙渚と浮き輪が目に入った。
「よっちんー、背中、押してくれー」
 浮き輪に乗って流される気満々で、沙渚はよいちに声をかけてきた。
「待って、今行く」
「早くしろーい」
 ジャングルジムをすばやく降りる。冷たい水が足先に触れる。冷たさをここまで気持ちよく感じられるのは、夏だけだと思う。
 水をかき分け沙渚の元に向かう間、何故か心が和やかになっていく経緯を感じ取ることが出来た。
 それは、何かの存在理由を考えていることが、どうしようもなく野暮なことに思えたからかもしれない。



 その日も結局三人は、何もやることなしに、ぼーっとしていたり、釣りをしていたり、浮き輪で浮かんでいたりするだけだった。非常にゆるやかに時は流れていった。
「今日はこねぇなぁ……」
 魚に見捨てられた釣り人のぼやき声が聞こえる。
 海より山の方がよっぽど近い、この田舎町の真ん中で釣りをする。言葉だけでは想像できない光景だと思う。だが実際の所、その説明自体は何も間違ってはいないのだ。
 間違いは、別の所にあるのだから。
 よいちは、元の世界と今の世界の間違い捜しをしてみる。じゃじゃん。ひとぉつ、早速発見。よいちくん、回答をどうぞ。えっと、町全体が水浸しになっているのと、なっていないの。ぴんぽーん、正解です。では、第二問目に……。
 言葉にしてしまうのはとても簡単で、あっけなくて、後に残るのは形にしきれなかった未消化感だった。

 結局今回は、亮太の垂らした釣り糸が振れることは無かった。
「まぁ、いっつも当たってたら釣りじゃあないもんな」
 亮太は、それでも悔しそうに垂らしていた釣り糸を巻き上げる。
 この間行った駅前の噴水広場では、十分に大きな魚が二匹も釣れた。
 亮太が釣った魚は、二匹とも淡水魚だった。
 よいちはその時、「淡水魚がいると言うことは、海水面が上昇して町が水没したという仮説は矛盾することになって……」などと考えていた。
 対して、亮太は魚が釣れたことをいっぱいに喜んでいたし、沙渚も一緒になってうれしがっていた。
 その時のよいちも、そんな二人を目に収めながらも一人思考の世界に浸かっていた。
「おぅい、少年ー」
 沙渚の声だった。いつの間にかよいちの下、ジャングルジムのそばまでやってきていた。よいちがぼやっとしている間に何回も呼んでいたらしく、沙渚の顔は不満を満面に出したふくれっ面になっていた。
「あ、ごめん。考え事を……」
「そんなことはどうでもよくてぇ」
 よいちは沙渚に珍しく怒られるのかと思った。しかし、沙渚はすぐにいつもの独特な笑みを作り上げる。
「ぼーっとしすぎなさんな」
「え?」
 よいちは沙渚の言ったことについて、どうにか解釈しようと考える。
「あー、ごめんごめん。言い直す。ちょい待って」
「はぁ」
 正直、沙渚が何を言わんとしているのかよいちには全く予測が付かなかった。とりあえず分かることは、たまーーーにやってくる、沙渚の真面目モード。今の沙渚はその状態であるということだけだ。
 言葉を作り終えた沙渚が、再び独特な笑みを作る。
「えっとねぇ、よいちには、あまり物を考えすぎずに、単純な感情だけで世界に触れることも大切だと、わたし思うんだぁ」

 沙渚は浮き輪に乗ったままで、演説家の振りをつけて熱弁した。腕の動きが気に入らなかったらしく、演説を終えた後も何度もブンブン腕を振って試行錯誤していた。
 沙渚の演説は、数多の演説家達が望んでも持ち得なかった、人の心に新しい衝動を与える力があった。それは、よいちの心にも例外なく、一滴の新鮮な水が隙間に染みこんでいくのが分かった。
 沙渚の伝えたかったことを、よいちは深く噛みしめる。沙渚の言葉に反して深く考えてしまっているようだが、それは違う。考え込むのをやめるために思い巡らすのだ。
 亮太と沙渚のやりとりが聞こえてくる。ジャングルジムの上から糸を巻き上げようという亮太を、沙渚が下から引っ張って妨害しているようだ。やめろ落ちる、落ちちゃえと、投げ合いのような会話の後、亮太の悲鳴とどぼんという大きな水没音が聞こえてきた。どこまでも幸せそうな二人の笑い声が、よいちの元に届いた。

 思いめぐらせた末に、一つだけ、確かなことがわかった。
 空を仰ぐ。そこには、変わらない蒼天の空があった。



「今日も特に変わりない一日だったな」
 ずぶ濡れのTシャツの水を絞りながら、亮太が独り言のように呟く。
 校庭の端っこ、ジャングルジムの上。取り残されたようにたたずむ三人。
 校舎の向こう、太陽が影を潜め、一日の終わりを静かに告げる。
「明日はどーするの?」
「とりあえず、町は一通りまわり終えたからな。これ以上の情報は手に入らないだろ。となると、行き先は隣町か、その先の山の方まで行くか……」
「あ、あのさ」
 よいちが申し訳なさそうに口をはさむ。
「僕、明日はもう一度、駅の方に行きたい」
 予想外の提案に、亮太は大きく驚いた。
「へぇ……急にどうした?」
 いつものさっぱりとした亮太の声なのに、よいちは問いつめられた時のような圧迫感を感じてしまう。
 大丈夫。結論はすぐそこにある。あと必要なのは、言葉にすることだけだ。
「亮太と沙渚ちゃんとここまで一緒に町をめぐってきて、ようやく気づいたんだ。どれだけ歩き続けても、探し求めても、こんな世界だから、僕らにはどうしても分からないことはあるんだって。だからさっき、僕なりに分かる範囲だけで、今の僕らが置かれた状況について考えてみたんだ」
「で、結論は出たのか?」
 よいちはこくりと頷く。沙渚の視線を感じた。
「うん。簡単なことだった。この世界は確かにあって、僕らはここにいる」
 結論は、それだけで十分なんだ。よいちは付け足した。
 亮太は、とてもおもしろそうに笑った。

 いつだって亮太は、よいちの煩雑な思考に、四の五の言わず笑って付きあってくれた。

「お前にしちゃシンプルな答えだな」
「難しく考えるのをやめてみたんだ。でも、その結果出た答えは、単純なだけに揺るぎようがないことだと、僕は思うんだ」
「で、それ以上のことを考えるのもやめて、今のこの世界の意味を探し求めることもやめた、ってか」
「うん」
 亮太はそばにいた沙渚に反応を促す。沙渚はふるふると首を横に振った。それは否定でなく、よいちの思うようにさせてあげなよ、と言う意味がこもっていた。
「じゃ、明日もいつものとこ集合で、駅方面に行く。これで決定な」
 満場一致だった。



「じゃあ、また明日な」
 町役場近くの分かれ道で、亮太と別れた。よいちと沙渚は軽く挨拶を返した。
 沙渚と別れるのはもう少し先のT字路だ。その間、もう少し沙渚の話とシャッター通りと水浸しのコンクリートロードに付きあうことになる。

「よかったの?」
 横に歩く沙渚が口を開く。
「え、何が?」
「町の外に向かえばさー、何か分かるかもだし、変わるかもしんないじゃん?」
「うん。……多分、そうだろうね」
「それが、よいちの急な心変わり。その心は?」
「さぁ、なんでだろう……」
 よいちは毒にも薬にもならない反応だけを返す。
 意識の本体はすでに別の所へ行ってしまっていたから、よいちは適当で簡単な反応しか返せなかった。
「よっちん……」
「ん? ……って、うわっ!!」
「おれの、おれの、話を聞けぃー」
「痛たたたたたた!!!」
 頸動脈が締めつけられる痛みの中、急に首根っこをつかんで、ヘッドロックをかける女の子はそうそういないな、とよいちは冷静にも思っていた。
「ぎ、ギブ……」
 根性無しのよいちはすぐに解放を求めた。
 沙渚の腕にタップを繰り返すと、沙渚はしぶしぶ技を解除した。
「はぁ、はぁ」
「物事深く考えるの、やめたんじゃーなかったのー?」
「や、やめたよ」
「じゃーなんでぼーっとしてた?」
 よいちは不安そうに頭をぽりぽりかく。
「考えていたことを、頭の中で整理していたんだ」
 心の整理。静かな決意。
 よいちは口の中で一人、言葉を付け足した。
「違いがわからんよ、きみぃ……」
 やがて、分かれ道のT字路が見えてきた。



 よいちと二人との別れは、実にあっさりとしたものだった。
 それはそうだ。毎日のように会っている三人の、また明日の意味のさようならなのだから。
 二人からしたら、永遠に別れるだなんて、思っても見なかったのだろうから。
「さて、と……」
 こうはしていられないな、とよいちは自分に言い聞かせる。

 よいちはありったけの決意と壊れた世界への希望を込めて、踵を返した。

 よいちは、大きく進む一歩一歩に、同じはずなのに今までにない水の重さを感じた。
 これから向かい行く先を、水が拒もうというのだろうか。
 左を見ても右を見ても、障害しか目に入ってこない。
 でも、それでもいい。
 ……単純な感情に従って、僕はこの道を選んだんだ。
 よいちは呟く。
 この町から出ることになったら、大きな破壊行為について知ることになって、夢の終わりのようなこの世界も、よいちの中で終わってしまうかも知れない。
 だから、一人で来ることを選んだ。
 二人を巻き込んでまで足を踏み出す理由を見つけられなかったから。
 よいちは、駅前の噴水広場と、そこにいる二人を思い浮かべる。

 昼下がり、真夏の太陽の下。おみやげ屋の屋根の上で、亮太は静かに釣り糸を垂らしている。熱光線を遮るサンバイザー。よいちが何度似合わないと言っても亮太は懲りずにつけてきた。頭の形に合わないそれを、亮太はくいくいと何度も着け直す。
 沙渚は浮き輪を持ってきているだろうか。よいちには沙渚の行動パターンは読めないので、仮に浮き輪を持ってきたとして、噴水辺りに浮かんでいる沙渚を想像する。波立つ水にゆらりゆられている沙渚は、自由そのもののようだった。そのままの姿で、モニュメントにでもすれば、たちまち「自由」というタイトルが付けられるだろう。
 夕暮れが近づき、いつもどおり、二人は家路につく。じゃあ、また明日ね、といって、T字路で別れる。

 全く問題はなかった。よいち一人がいなくても、世界は何ら支障なく廻るのだ。
 周りの人たちがそうだったように、よいちがこの世界からいなくなってしまったら、やはり二人の記憶からよいちの存在は消えて無くなってしまうのだろう。
 そう考えると、少し寂しいと同時に、二人に対して申し訳ない気もした。
 最後に一言「今までありがとう」とだけ、二人に言いたかった。
 それだけは悔やんでも悔やみきれなかった。



 隣町がもう、目の前まで迫っている。
 夏休みは、もうすぐ終わりを告げようとしていた。





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