大山ディスカッション 下
ぴんぽーん。
宅配便デース。
「……何なのこの出来過ぎなタイミングは」
片山さんはひどく落胆してみせた。
「お嬢さん、続きは私が引き受けます。だからあなたは玄関へ」
「てか、どう考えても俺の、俺んち宛の荷物だと思うんですけどー普通俺が受けとるもんだと思うんですけどー」
正論はことごとく無視される。
……しかし、おかしいな。
「メイドさん、正直に答えてください」
仕送り以外に俺の家に宅配便が来る事なんて皆無なのに。
「貴方はただの居候ではありませんね」
田舎の母さんからの仕送りはおととい来た。突発的な仕送りだとしたら、母さんの几帳面な性格から言って事前に連絡して時間帯指定で送ってきてくれるはずだ。
「率直に聞きます。あなたは、今ニュースでやってた連続放火魔……」
だとしたら、今玄関にいるのは?
「動くんじゃねぇ!」
時間を止めて一瞬を切り取るだけの力がある怒声だった。全員の動きが停止した。俺も、片山さんも、おっさんも。
そして、メイド服も。
動いているのは、肩で息をしながら肉食動物的な視線で俺らを警戒する、すすで汚れたつなぎを着た兄ちゃん。何をそんなに怒っている? その疑問には、兄ちゃんの右手が握っている物が答えてくれた。
今回は、玄関開けたらサトーのご飯他人が三人という前回に比べて、ニュースという伏線があったので、状況把握は容易かった。
なんてこった。
お届け物は、ピストルだったのですか。
いや、違う違う。大体この兄ちゃん宅配ドライバーの格好なぞしていないしそれ以前に、手首んとこ。
……手錠。
えー、ただいま連続放火魔が手錠をつけたまま逃亡、ただいま俺んちに潜伏中。繰り返す、ただいま連続……。
「動いたら撃つ。警察に電話しても撃つ。大声出しても撃つ。このお嬢さんを撃たれたくなかったらな、俺様への反抗など考えたりしないことだ」
うわぁこの人俺様なんて天然で言っちゃってるよ痛いなぁ、と普段ならば優しく伝えてあげるのだが、俺本人ならばともかく拳銃が片山さんに突きつけられている今そんなこと言えるはずがない。俺が何もしなくとも、こちらには存在自体リスキーな人物が数名いるのだ。まずはそいつらを下手な真似しないように抑え込まなければいけない。見たところこの兄ちゃん、血気盛んで少しの刺激でも与えるのは危険に見える。
俺はまず、不幸にも玄関チャイムに応じて出たばかりに拳銃をこめかみに突きつけられ人質に取られてしまっている片山さんに、目配せで平常心を尋ねた。……私なら大丈夫。そう言っているようにゆっくり首を振ってみせた。俺は(片山さんみたく?)読心術を心得てないので細部のテレパシーまで読みとれない。それでも片山さんの目は、そう強く訴えていた。
犯人の兄ちゃんは兄ちゃんで、脱走の勢いで俺んち飛び込んできただけのようで(つか何故俺の家選んだ?)、今後の展開を必死に頭でめぐらせているようで、俺は問題児の二人の様子を確認する余裕を得た。
「おっさん。おっさん」
「はうぅっ」
すでに勝手に撃たれて死んだかのように硬直していたおっさんを呼び起こす。こいつの引き起こす害を考えるならば、固まったまま放っておいてもよかったのかもしれない。でも、俺は俺で拳銃を持つ危険人物を前に平常心でいられなかったんだ。相談相手がほしいこともあった。……まさか、メイド服に話すわけにもいかないし、片山さんはそれどころじゃない。消去法ってやつだ。
「あいつ……ニュースで言ってた放火魔で合ってるんだよな」
「タイミング的にはそう、としか言えませんが、確証はありません」
「だよなぁ……」
ニュースの続報さえ聞ければ、犯人の成り形の詳細を伝えてくれるかもだが、先の兄ちゃんの怒声でびくついたおっさんが、反動で持っていたリモコンのスイッチを押してしまったのだ。だから今、テレビはその黒さを伝えるだけ。
しかし、目の前に拳銃と敵意を持った男がいるという事実には何ら関わりはないので、放火魔かどうかはこの際関係ない。俺はそう結論に至った。
と思った矢先だ。
「本人に聞いて、確かめてみましょうか?」
「なぁっ!?」
おっさんは、いつキレるか分かったもんじゃない拳銃を構えた男に「あなたは犯人ですか?」と聞こうというのだ。こんなバカシチュ、中学英語の例文にもなかった。俺にはサプライズ過ぎて、昔のギャグマンガみたいに口をあんぐり開けることしかできなかった。
おっさんはすくっと立ち上がり、予告通り「あなた、例の連続放火魔ですね」と聞いたのだ。このように人知を越えたトンデモバカを目の当たりにした時、人は「お前の脳みその中一度覗いてみたい」とでも言うもしくは思うのだろうけど、こいつのメロンパンの中身覗いたらバカが感染拡大してしまいそうなので俺は覗きたくない。
……あれ?
兄ちゃんが分かりやすく動揺しているんですが。がくがくぶるぶるって。
「な……、何故それを知っている……!」
……この兄ちゃんも頭緩そうだ。
「警察に逮捕され連行されるところを振り切り逃亡、ここまで逃げてきた。違いますかな?」
「何でそこまで……!」
ニュースでやってただけなんだけどネ。……それはともかく。
「おっさん、拳銃持ってる相手刺激してどうすんだよ」
「謎は、全て解けた! 犯人はあいつです!」
「起こさない方がよかった」という思いが、「もう一度眠らせればいいや」へ変貌した。
でも、優先順位は違う。おっさんを締め落とす前に、まずはこの兄ちゃんを落ち着かせる……説得しなければいけなかった。
俺は一、二歩近づき面と向かって説得を試みた。
「な、なぁ。こんなことやめろよ。人質取って立てこもったりなんかしたら、余計罪重くなっちゃうだろ? な?」
「うるせぇ! お、俺は、捕まらねぇんだ!」
説得しようとしてようやく、この手の犯人は危険かつ扱いづらいのだと知った。
「なーにやってるのぉ! 拳銃持っている人を興奮させちゃダメでしょ!」
こいつ……殴りたい。
殴るのはこの最悪な状況を打破してからにするとして、俺は別のことを考えていた。
兄ちゃんの持っている拳銃……。あれは日本の警官に普通配給されている拳銃だ。たしか、ニューナンブとか言ってた。……あぶ刑事か何かで得た知識だ。細かいことはともかく、モデルガンでなく本物である可能性は極めて高くなり、ヤバイ状況であることがこれで確定した。さらに、拳銃を……隙を見て実行したとは言え……警官から奪ったことを考えると、こちらからの奇襲は大きな危険性をともなってしまう。だから、ここは一つ兄ちゃんに従って、おとなしくしていた方が得策……。
と思った矢先その二。
兄ちゃんのがくがくぶるぶるが格段に大きくなり、それまで至ってマイペースに冷静だった片山さんの目は皿になった。振り返り何かを見たおっさんは、「どぅへぇ〜!」と、新しいんだか古いんだか分からない驚き方をする。三人の視線は共通して俺の後ろにいるだろう”あいつ”の方に向けられている。あいつが誰かは口にしない。口にしない。ダメ、絶対。
言うなれば、ロナウジーニョだかのFWに気を取られすぎてマークを外してしまったロナウドにいとも簡単に裏をかかれてしまったサッカー日本代表のDFの気分だろうか。一体電波がこの危機的状況でどんなバカをやったのか分からないが、銃持つ兄ちゃんを大きく刺激したことは確かであって。俺は死人さえ出なけりゃもうどうなったっていいやと絶望的観測で振り返った。
俺の目も皿になった。
「動かないで」
メイド服は、拳銃を構えていた。
……。
…………。
拳銃だな。
……。
拳銃だね。
……。
構えてるね。
危険だね。
……。
えぇぇっっぇぇううえぇぇぇええ!!???
ごほっ、ごほぉ。
……むせた。
「な、何? 何なの??」
聞きたいことが多すぎて、こんなおおざっぱな質問になってしまった。
しかし、メイド服。電波妨害モードでも入っているのか、質問受け付けず。
「銃を降ろしてもらいましょうか。彼女は私にとって大切な人なので」
彼女とは片山さんのことだろう。……二人は初対面なはずだが、大切な人? あぁ、あれか。電波か。電波だからか。電波は、全ての不都合を解決する、魔法の言葉。……真面目に解釈すると、大方漫画かアニメあたりの影響でも受けているのだろう。
メイド服は、兄ちゃんの眉間に照準を合わせたまま、じりじりと詰め寄っていく。戦うメイド服。一部のマニアックな方々に好評を得そうだ。無論、俺にとってはトラウマを呼び起こす光景でしかないが。
「な、ぬ、ぬ、なぁ、何、何もんだあんたぁぁ!?」と、兄ちゃんが目ん玉ひっくり返らせながらわめいた。
この人もこの人で変なの三人衆が押し掛けている時にここ来ちゃって不幸だな。俺と同じくらい……。
だが、次の瞬間。俺が勝手に付けた不幸順位は大きく覆り、兄ちゃんが究極の不幸者として不動の地位を得たのだ。おめでとう。喜んで譲ってあげる。
メイド服が、胸元から黒手帳を取り出した。その手帳に一番見覚えがあるだろう兄ちゃんは、ゆでだこと化していた頭から血の気が一気に消え失せるほどに驚いてみせた。
「警察です。銃を下ろしなさい」
その証明、警察手帳。初めて見たな〜刑事ドラマとかでしか見たことないからな〜。
……。
いや待て。
警察? こいつが。
人は見かけによらないね以前の問題が発生していること請け合いだが、俺はもう目の前の光景を現実として受け入れるのに精一杯なので、もうツッコミ放棄。流れに身を任せる態勢に入る。
「もはや貴方に逃げ道がないのは明白です。もう一度言います。銃を下ろしなさい。これ以上、罪を重ねるつもりですか」
口調も二百七十度ぐらい変わって、もう電波びんびんの絶好調だ。俺の部屋圏外なのに。あ、それは俺のケータイがボ○ダフォンだからか。てことはメイド服の方が感度がいい? ん、どうでもいい?
片山さんが人質に取られている今、そこまで形勢は覆ってはいないのだが、兄ちゃんの動揺は大きく、このまま精神的に追いつめていけば勝手に落ちてくれるんじゃないか。メイド服もそのあたり計算に入れての行動だったのだろう。が。
「ふ。ふふふふふふ」
……兄ちゃん、壊れた?
「ふざけるんじゃねぇ!!!!」
銃口がメイド服に向かって振り上げられた。メイド服も引き金に手を掛ける。銃撃戦。弾丸の応酬。血が流れるのは避けられない展開になった。
だが。
まばたき一回分程度の体感時間が過ぎた。俺の目には、途中の過程を全てすっ飛ばして、兄ちゃんが床に伏している光景が飛び込んできた。頭を押しつけられ、両手を後ろ手に押さえつけられている。その上には、片山さんが乗っかっている。
……何があった?
俺の脳みそに、やや遅れて過程が補完される。
兄ちゃん、拳銃を振り上げる。それまで緊張を解かずに人質にとられていた片山さんは、その一瞬を逃さなかった。右手で拳を作り、突き上げる。アッパーはがら空きのあごに命中し、メイド服に向けられようとしていた照準が逸れる。よろめく兄ちゃんの横っ腹に間髪入れずに肘をいれ、その後すぐに拳銃の握られた右手をつかむ。赤子の手のようにひねられた手首。拳銃は握力からいとも簡単に解放される。片山さんは捕らえたその右手を後ろに回し、関節技を決める。最後に、一緒に後ろに回り込んだ片山さんが兄ちゃんの背中にけりをいれ、床に突っ伏させた後、左手も確保して完成。出来上がり。片山さんの5秒クッキング。華麗だ。
警察に電話を入れて、すぐ後。
「本当にすごいですね、お嬢さん」
「……護身術学んでましたから。独学ですが」
何げに何者ですかあなた。
すっかりおとなしくなった兄ちゃんに、多少の憐れみを感じて、ふと思い出す。
電波に向き直って、「あんた……警察だったんだな」
「何のことでしょうか? ご主人様」
元に戻っていた。
片山さんとおっさんが詳しく聞き出すと、どうやら先程までの修羅場の記憶は全く残っていない(という脳内設定)らしい。
許容できる電波分が限界を超えたので、俺はそこで気絶した。
次の日。
「うほぁあ!!」
嫌な夢(メイド服着たおっさんが俺の寝ているベッドに潜り込んできて以下省略)にうなされて飛び起きた。汗びっしょりだった。
時計を確認する。朝の九時十五分。今日は休日なので、のんびりしていられる。昨日がてんやわんやだったのでいつもの休日の倍はうれしかった。
かんかんかんかん。
台所から物音がする。
注意。俺は一人暮らしで以下同文。
「片山さん、何で俺の家に残っているのかなぁ?」
「えっ……?」
何でそこで驚きリアクションが入る。驚きたいのはこっちだ。
ちっ、ちっ、ちっ、ぽーん(片山さん思考タイム)。
「あ、家の鍵まだ無いから……」
「お父さんは? どこ行ったのよ?」
「分からないけど、多分北の方」
これはまた見当違いで規格外の答えが返ってきた。
「家入れなくて途方に暮れてるのは分かるよ。でもね、ず〜っと家にいさせるわけにはいかないんだよねこちらとしても」
片山さんはうんうんうなって考える。
「……大丈夫。お父さん帰ってくるまでだから」
いやいやいや。そういう意味でなくてだな……。うんうんうなって考えた結果がOBショットか。
「どこに行ったか分からないってことは、いつになったら帰ってくるかも分からないってことで、片山さんがここで居候する期間も分からないんだよ。これ、重要ね。でだね、さすがに一週間も二週間も君かくまっているわけにはいかないんだ。……学生だし、食費もないから」
「……でも、お父さんは『父やんが突然失踪したら、ちゃーんとお隣さんにかくまってもらっちゃりよ?』って言ってたし」
……どこに突っ込めばいい?
「ということで、これから何日間かよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
ここ数日で、俺は観念するということが上手になったかもしれない。
「朝ご飯作ったんで……」
「あ、いただくわ」
先程の台所からの物音は当たり前だが料理の際の音で、片山さんはうれしいことに俺の分まで作ってくれたのだ。
「居候させてもらう身なんで、これぐらいはしないとなって思って」
気遣いがそこまでまわるなら他にまわすべき所があるだろうと思ったが、口にはせず、せっかくの料理をおとなしくいただくことにする。
まず、目の前の卵焼きを箸でつかむ。これが卵焼きだと分かるのは、片山さんが卵を使って料理していたのを確認したからであって、正直、見た目から卵焼きだと判別することは出来ない。……他の料理にも言えることだが、片山さんの料理、見た目が悪い。失敗作の雰囲気を拭えない代物ばかりである。前例(?)から言って、こういう話に出てくるこの年頃のこんな子は、味覚破壊料理のプロであることが多い。
いやだもう、逃げたいよう。
腹をくくって真ん中を箸で割ると、意外にも(?)半熟に近いとろりとした中身が出てきた。半熟卵は俺の好物だ。
……。
……ん?
「……うまい」
何というか、しょっぱくなく、甘い。甘いのだけど、甘ったるくはなく、白米との相性も良い。甘さの長所だけを詰め込んだようで、甘さがうまみへとよく還元させているのだ。不思議にも箸が進む進む。
「もしかして、料理も得意?」
「昔、料理に精通していたので……」
もはや何でもありだな、この人は。
そういえば、あの二人はどうしたのだろう。おとなしく帰ったのだろうか。片山さんに聞いてみる。
「あのおじさんは朝方帰ったよ。なんだか『今度はラスベガスで一攫千金狙ってきます』とか言って、自転車で出かけていってた」
自転車で税関通れるんでしょうか。
「あと……あのメイドさんは警察の人が犯人逮捕しているうちにいなくなってたんだけど……」
「だけど?」
「警察の人によると、『メイド服の私服警官などうちにはいない』って」
……。
じゃあ、あいつは一体何者だったんだ……?
おだやかな休日の朝。一つだけ、消化不良が残ってしまったようだ。
〜終われ〜